2016年7月 2日

何の論点も結論もない7月1日に描いた文字

こうやって外に出かけるのは久しぶりだ。

ただ家の玄関を出るのではなく、曠野ほどではないけれど、目の届く限り何にもブロックされないこの大きいシネマのような「フレームレス」な光景は実に素晴らしい。

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ママ友たちが集まって「うちの子は全然(笑)」の自虐話をしながら、子どもたちは自由に芝生の上を走り回り、ありっだけの力で内心の気持ちよさを叫んでいるように見える。遠くにいるカップルの会話は聞こえなくても表情に溢れ出ている幸せくらいは読み取れる。だらしない姿でベンチの凹んだ部分を100%カバーするような感じでピッタリ中に嵌りこんだサラリーマンはぼっとしながら携帯をいじり、その隣のベンチに座っている一家はパパがボケ役で4、5歳の娘が元気よくガンガン突っ込んでる家族構成になっている、たくましいツッコミ力だ。

雀が隣に寄ってきた。鳴き声は快楽で、一体何を歌ってるだろうと、朝の通勤中だったらちっとも疑問に思わない当たり前のことを、この瞬間は知りたくて仕方がない。もし本当は「めしくれ、めしくれ」って喋ってたらドン引きするけどね。

冬と違って今この季節はベンチが暖かく、大自然の体温が宿っているようにも感じる。

僕は目の前に広がっているこの景色に反応し、受動的に体が動き、それがペン先に伝え今文字と化しているように思えた。最近はこういうナレーションというかモノローグというかの「ヴォイス」が勝手に訪れることが多くなってきた。

かつて「AはこうだからAだ」のような、理屈と結論ばなり追求する理科生の僕が景色や人間の描写など、ただの贅肉に思っていたのだが、まさか自らずつと「唾棄」してきたと言っていいくらいの、論点も論拠もない文字を書くとは、結構不思議だと思う。ギャップ萌え(そう思ってくれる女子はいないだろうけど)の範疇に入るくらいの飛躍かもしれない。アメリカアクション映画の「Come on! Move move move!!」のマッチョなおっさんの叫びと、日本映画の「熱いうちに食べてね」の優しい女性からの小さな一言のような距離感だ。

まあよしとしよう。今はこれで十分。

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Qihuan Piao

朴 起煥

東京で働いている「外人歴」9年のソフトウェア「ライター」。いつの間にか納豆が食えるようになり、これで日本に慣れきったと思いきやまだまだ驚きが続いてる。読んだり書いたりするのが好きで、自身の経験や本から得た「何か」をここに書き出してる。最近古本屋にハマってる。

他にも英語中国語で書いてます、よろしければチェックしてみてください。