外注という体の課金
最近一部の開発業務を外注したことがあった。またそれと全然関係ないけど「虐殺器官」というフィクションの本では将来戦争そのものを外注していると書いてあった。なぜかこの二つが意外にリンクして、ちょっとだけ潜って書いてみたくなった。
外注や業務委託という言葉はビジネス用語だろうか、オフの時の会話ではあまり使わないけど、実際は身近な生活に溶け込んでいるよね。クリーニングに洗濯を頼んだり、タクシーを頼んだりして、時間短縮あるいは品質向上などの目的で外部のプロなり専門家にその仕事を外注して、それに対価なるもの(お金)を払う。実物にこだわらず、あらゆるサービスも範疇ならば、スキルの交換ももちろん中に入る。外注側と請け負う側があり、その間のモノやサービスの交換の全体が「経済」と言えるだろうか?
個人や団体間では法律を利用した「喧嘩」そのものを「弁護士」に外注できるし、国家レベルではまだ「喧嘩」が外注という形にはなってないが(?)、武器の輸出のビジネスパートナー関係には行っている。直接手を貸す傭兵という団体も昔から存在している。その支払いがほとんどお金と考えると、うん、ちょっと気味が悪い。
「虐殺器官」ではこう書いた。
業務であるから、予算を立てることもできるし、計画することもでき、業者に発注することもできる...戦争が単なる仕事であるということ。予測も統御も可能な「作業」であるということだ。
要は今のマネージメントの手法とノーハウが適用できるわけだ。これがまた恐ろしい。いざ戦争になったらこのIT業界のエリートのマネージャー達は戦争という業務をスムーズに管理しゴールまで持っていくのか?時代が違ったら戦争の英雄か犯人かになるかもしれない。
話がだいぶ飛んだ。僕がいる業界だけの話に戻ろう。
そう今日の仕事のミーティングでは「即戦力」や「リソース」のような単語で外注先の話をして、あの言葉で一瞬思考が飛んでしまった。クリーニングのように「仕様」がシンプルな業務は外部に頼むのもさほどハードルが高くないが、ビジネス上業務を外注するのはリスクが伴う。ただうまくいった場合は即座に「戦力」と「リソース」が上がり、大幅に時間短縮ができ、それが価値で企業側はそれによって利益を生む。
なんだか若干ソーシャルゲームで待ち時間を短縮するために課金するようにも思った。特に深い意味はない。