本「猿の見る夢」感想
汚くてもそれが人間
59歳の薄井という主人公は自分勝手、優柔不断、冷酷で芯のない、女と金の欲望に場しのぎのことしかできない、そういう人。家庭に居場所がないと言い訳に愛人を作り、愛人とうまくいかない時はまた他の恋人を探し、それがだめな時は「やっぱり家が一番」といって転がる人。
なのにこの本を手に取って一気に読めたのは不思議だ。なんとなく共感できるとこがあって、なんとなくこんな男の最後を見届けたいという高みの見物みたいの心境もあった。そして読みながらだんだん恐怖を覚えた。それは物語のつなぎ役の神秘で気持ち悪い占い師によるものでもあり、主人公の遭遇に共感と共鳴することで自分もいつかそうなるのではないかと、薄々不安を感じた部分もある。三人称で書かれたのはあえてあまり感情移入せずに客観的に見て欲しかという意図があったそうだが、妙に惹かれるところは未だによくわからない。
最初の拗ねるところが薄井の人間性をよく表した。キャリア上もっとも運命を決めるチャンスかもしれない会長との極秘ミーティングを、愛人と先約があるということで早めに終わらせ(こういう面では評価できるかもしれない)、行きつけのレストランに時間通りに行ったら逆に愛人が1時間も遅刻する、しかも相手が時間と場所を決めたのに…店内は若者のグループが合コンでうるさくいし、こっちは常連なのにいつもの席に座らせてくれない、などなどで物事がどんどん都合の悪い方向に転び、やがて拗ねて自爆する羽目になる。怒ることに至らない「単品」の小さな挫折が「セット」で来ると、我を失う。ほとんどの人はそうじゃないのかな。
愛人関係というと、毎週二回会って料理とワインを飲んでセックスする、というルーティンを10年も続いている。平日に一回、週末に一回、全部仕事の接待やら飲み会やらの言い訳で家族をごまかして10年間。そして深夜前には絶対自宅に帰る、愛人宅では一切止まらないと、せめてもの家族への優先順位のケアというか、そういうところがある。。。何ことも長続くことに意味があるという観点からは、もうこの「若さ」と「継続さ」に感心するほかならない。
中盤に入ってからは薄井が自宅に帰った様子が書かれたが、まさに「犬以下」の待遇でちょっと同情したい気もあった。卵と鶏の問題かもしれない。家庭内に居場所がないから外で快楽を求めているのか、外で快楽を求めているから家で冷遇されるのか。その悪の循環が全てを壊す。
そういう仕事、家庭、親族、そして女性関係(これは自己責任といえばごもっともだが)からのストレスは分からなくもない。不倫がバレて家から追い出されて、一人になってからの好き放題やり放題の開放感から間も無くまた寂しくなり、「男は安定な家庭があるからこそ一人になりたい」と悟った主人公。誰しも一つや二つ共感できることはあると思う、だからこそ怖いのだ。もしも一歩ずつ間違えたら、そういう滑稽で狡猾で卑劣な人間になるのではないかと。
一箇所だけ著者の意見が文中で表したと思う。
男は女に縛られると、自由が欲しくなって飛び出し、自由を得た途端にまた女が欲しくなる。馬鹿な動物なのだ。
(自分も含めて)ほとんどの男性は認めざる終えないだろう、この矛盾でどうしようもない内なる感情を。
一番不思議だったのが、一回目読んだ時はひたすら主人公のことを見下してた。何でこんな人間失格のストーリーを読むんだ、と疑問に思った瞬間もあった。しかしもう一回パラパラと読み直したら、何となく著者が表紙て書いた「これまでで一番愛おしい男を描いた」の意味がわかってきた気がした。思わず女を比べた時の罪悪感、別れた時の涙、貶された方を庇いたい気持ち、結局誰にも愛されてない時の挫折など、いかにも人間らしい感情。もし、自分の過去を他人のストーリーのようにもう一回客観的に読み直せるんだったら、同じく滑稽で狡猾で卑劣に見えるのだろうか。心のどこかにそういうピエロが潜んでいるのではないか。
最後のエンディングは個人的にどうしても腑に落ちなくて薄気味悪かった。「雑な仕事」としか思えてなくて、ようやく映画がクライマックスになろうとした瞬間、停電で強制解散された感が半端なかった。
誰が読むべきか?読むことをすすめするのか?
ん。。難しい。全体的に読みやすかったし、59歳という、失礼だけど、もうおじいちゃんのはずの人の具体的な悩みや挫折を鮮明に伝えたし、各登場人物とのリアルに汚い、見苦しいディテールまで見えるのはよかった。各自の人生経験とステージによって得られるものは絶対あるだろう。
若かった時はよく「定年退職後にやりたいこと」を友達と妄想してた。まるで、老後は仕事のストレスから解放され、それこそ人生を楽しめる時期かと勝手に心のどこかで思ってた。そんな都合のいいことは絶対ないだろうと、本作を読んでもう一回考えてみた。16歳には16歳の悩みがあり、59歳には59歳の悩みがある。何かの「ステージ」に物理的にたどり着いたといって全部が望む方向に転ぶことは絶対ありえない。だからやりたいことがあれば「今」だと、ちょっと意識高いことを言ってみたくなる。
最後にいくつか主人公の「悟り」を引用してこの記事を終了し、この本にもちゃんとありがとうとさよならを伝えたい。
自分の会社であれば、人はいくらでも働くり問題は、他人にその熱意をどう共有させるかだ。創業者には、雇われた者の気持ちは永遠にわからないだろう。
P16結婚してからは、一人になりたくてもなれない状態が続いていた。美優樹(注:薄井の愛人)と付き合うようになって、美優樹の部屋、という会社と自宅との中間点の居場所が出来た。美優樹との付き合いが長くなったのも、結局はそういう居場所が欲しかったからではないかと気づく…会社で働き、美優樹の部屋で解放され、家に戻って会社の準備をする。その繰り返しの日々だった。
P328本当の独りになった途端、独り身を楽しめるのは、家族がいるからこその贅沢だとようやくわかった気がする。
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