君たちはどう生きるか
色褪せない人生の一冊
湧き出そうとする涙を必死に堪えて、雪の積もった道をひとりの少年が狼狽えていた。彼は自分のなしたこと、いや、なさなかったことに悔やんでいた。友達を裏切った罪悪感、取り残された孤独感が押しかけ、連日、布団から出られなくなった。死んだほうがマシだ、とさえ思った。
そんな時、彼のそばにやってきたのは、彼の叔父さんだった。そして一冊のノートを残してあげた。そこにはこんな言い伝えがあった。
「いま君は大きな苦しみを感じている。なぜそれほど苦しまなければならないのか。それはね、コペル君、君が正しい道に向かおうとしているからなんだ。」
それに心を打たれたのはその少年と、その本を手にとって読んでいた私であった。
最近どこの本屋に行っても、漫画版の「君たちはどう生きるか」が展示され、その景色に圧倒されていた。流行りものへの好奇心で、冒頭の数ページを読んでみたら見事に魅せられ、虜になってしまった。この一冊は今の自分に、将来の自分に、そして次世代に残すべきだと強く感じた。
「君たちはどう生きるか」、一見タイトルからは難しいことを問われ、この体のことは苦手だと、遠ざけてしまう方々もいるかもしれない。そんな心配はまったくないと証言しよう。何しろ、元々は戦時の少年向けの本なので、その誰しもが困惑で動乱な時代背景で、「人間として立派な人生をどうやって生きるか」ということを極めてシンプル、かつ深みと温かみのこもって書かれた名作である。
そして、15歳の少年のコペル君の日常に焦点を当てる、その切り口も絶妙だと思う。学校は社会の縮図であるように、我々社会人はただ違う制服と肩書きを被るだけで、そこに感じさせる喜怒哀楽は同価同質のものである。さらに、漫画という媒体で繊細かつ無造作にその物語を再現して、より容易く大衆に浸透できるんじゃないかな。(そして私みたいに漫画読んでからそのまま原作の本を買う流れもありだし)
さて、一つだけ、自分の収穫を紹介するとしたら、それは感謝の気持ちである。
決して当たり前のように思ってはいなかったが、ごく普通に学校に行くことができ、教育を受けて人生の基盤を築いたことを実させた親に——
朝晩食事の支度をしてくれて、帰る場所と帰る意味をくれて、こうやってじっっくりと本を読んだり、ものを書いたりすることができる、暖かい家庭を支えている妻に——
順調とは言えない職場だが、衣食住に困らず、生き残るために自分の信念と意思を妥協することもなく、自分のままでいられ、その生活のインフラを提供してくれている会社に——
ありがとう。
いくらでも恩にきる人々の顔が頭をよぎるのだが、本の紹介の話から逸れるので、ここでは割愛する。
一年の終わる頃にこの本に出会えて本当によかった。読み終わって全身から何かが湧き出そうとしていた、それは勇気・感動・共鳴の極みだろう。名作に震撼されるってこういう感じなんだろうな。きっと今後もお世話になり、その度に新しい学びと悟りがあるだろう。
決して軽々マーケティングのためにこの言葉を使わないが、私はこの本を絶賛する。