2017年10月29日 #book #opinion

数年前電子書籍の流行りに乗ってKindleを買った。感動のハニームーンも幕を閉じ、結局今は紙の本に戻った。その「両端」を行き渡った経験から、読書の原点に戻った理由を探ってみたい。

まずは電子書籍のメリットを評価してあげたい。

  • 携帯性:物理的にスペースが取らない;どこでもいつでも、どのデバイスでも本が読める
  • 検索性:キーワードだけ思い出せば簡単にその箇所を特定できる
  • メモ:気になったところを簡単にハイライトでき、またそれをウェブで読み返したり、例えばEvernoteにエクスポートもできる
  • 辞書:わからない単語はその場で意味を調べ、それがフラッシュカードに登録され、後に復習できて、洋書を読む時超助かる
  • 配布:本屋で取り扱ってない洋書でもデジタルなら容易に入手できる

ここ数年Kindleは常に進化していて、この先も期待できるのではないかと思う。

一長一短、電子書籍の強みはすなわち紙の本の短所。それでも紙の本を選ぶわけというのは、以下の点を評価しているからである。

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ランダムの共有性と情報の伝達性

子供の頃、家の本棚には常に本がいっぱいあった。歴史、古典、パソコンなどどちらも父の趣味の本で、私は漢字が読めるようになってから勝手に本を取って読むようになった。その一冊一冊の本の影響の積み重ねがあるからこそ、今の自分がいると思う。

という筋書きで、自分の将来の子供にもそれを経験して欲しい。だから紙の本を買うのは一つの長い投資とも言える。家の本棚が暗黙的に次世代に影響と刺激と何かしらのきっかけを与えれば、十分のリターンではないかな?(一人の友人は、「子供に読んでほしい本」を判断基準にして本棚を整理していると聞いている。)

視野に置いてあるだけでランダムの共有性と伝達性があるのが紙の本の強みではないだろうか。もしiPadを子供に渡したらどうだろうか?ワンタップで素晴らしいゲームの世界に行けるから、そこでわざわざ電子書籍リーダーを開いて、本を探すエライ子供はいるのだろうか?

Eighty percent of success is showing up. (成功の80%を決めるものは、顔を出すこと。)

この名言のように自分にとっても子供にとっても、本が常に目に入るところにあることは大きな意味があると私は信じる。

二度読みと空間記憶

これは誰かも経験したことがあると思う——なんとなくこの本のここらへんのページの、左下にこういう内容が書いてあった、みたいな記憶。

紙の本だからその内容も、行間も、誤字も、全て変わらない。改行やスペースやマージンなりで人間はその「空間」・「視覚構造」自体を覚えられると、どこかで読んだことがある。本当に不思議だけど、何かを探したいときには大体感覚でそのページにたどり着ける。

その反面、電子書籍はページのレイアウトが可変であり、前回読んだ時と後で開いた時に必ず同じレイアウトになるとは限らない(同じ端末でフォントサイズを変えなくても)。「記憶の改竄」と言ったら大げさだけと、行間に凝縮された思い出は居場所を無断に変えられたような、後味悪い気がして仕方がない…(この意味で電子版の漫画はアリだと思う、紙のレイアウトと一致して不変だから)

本によるコミュニケーション

本を借り貸しすることで自然に会話が生まれる。読了して本を返すことはつまりもう一回合って、お互い感想を述べ会うことを意味する。内向な私にとっては大事なコミュニケーションのきっかけである。そしてある種「同じ体験」をした同士として、妙に親近感が生まれる(私が一方的にそう思うだけかもしれないが)。

ハンディカップからの逆襲

スペースとるから一本一本を丁寧に評価して買う。
積ん読のほとんどは電子版の本である。何せよ買って忘れる事案が多々発生してしまっていた。

所有感(個人差あり)

やはり物質的なモノを所持することにより、何かしらの達成感が芽生える。先祖から引き継いだこの感触はまだ電子の発展に追いついてないということなんだろう。簡単に言えば自己満足なだけかもしれない。


これらは完全に電子書籍を破棄せよと主張しているのではなく、あくまで1つの体験談として受け取っていただければと思う。本当にいい本は一度きりの体験ではなく、何度も繰り返し読みたいから自分の性と目的に合う媒体を選べばいいかなと思う。