"Cafe"の記事

カウンターの向こう側に立つ(2)——変わってくる日常の風景

前回:(1)33歳からのカフェバイト

僕が働いているブックカフェは繁華街のとある商業施設の四階にある。名前の通り本屋とカフェが融合した空間で、未購入の本でもカフェでじっくり座って試し読みができる。店内にはWifiとコンセントが整備されていて、コワーキングスペースやミーティングの場所としても利用できる。クラフトビールやレモンサワーなどのアルコールメニューもあり、仕事帰りでサクッと飲むのもなかなか快適。

僕は元々は一人の客としてその空間に陶酔し、果敢に応募したわけです。そしてブックカフェのスタッフとして働き出した。エンジニアの時期と比べると、日常はガラリと変わった。

まずは基礎体力が要る。僕は大体昼の12時から夜10時までシフトを入れていて、途中の1時間〜1時間半の休憩を除けば、基本は立ちっぱなし。それを週5のペースでとりあえず一ヶ月やってみる。

今まではデスクワーカーとして「溺愛」されてきた貧弱な僕にとって、最初は正直キツかった。初日の勤務がちょうどゴールデンウィークのピークに当たり、帰宅後、ソファに安らぎを求めた時に、ぼろっと転ばしたのは「あー、座るのっていいな」という言葉だった。足が痛くて、ベッドで横になってもまだ硬直状態だった。このままじゃ身がもたないんじゃないかと心配もしたけど、意外と人間は適応力が高い生き物ですね。この肉体の苦痛も、3日も経てばすっと慣れてきた。GWの連休も終わり、激務ではなくなったのも大きいけど。

僕らスタッフたちは基本カウンターの内側で作業する。この決して大きくはない空間の中での移動は、実はけっこう多い。スマホのアプリで歩数をカウントしたら、そこだけで一日一万歩を超える日もあったりする。熱々の食洗機からカゴを取り出し、お皿やコップを拭いて元の棚に戻したり、腰を下ろして冷蔵庫から仕込みやドリンクを出したり、閉店後椅子を全部テーブルに乗せて大掃除したりして、運動量が圧倒的に摂取量より多いから、実際三週間で約3kgも落とした。ジムで贅肉を意図的に削る鍛え方より、働きながら自然に痩せていくのは、なにか原始的でオーガニックな味がする。温室栽培より大自然で育ったみかんのほうが美味しく感じるように(単なる錯覚かもしれないけど)。

次に休憩の取り方が大きく違う。デスクワーカーの時代のランチタイムといえば、出動命令が出されたアリが巣から這い上がるように、「集団」で行動するのが常識だった。いわばチームランチ。そこで仕事の話をしたり、プライベートの話をしたりして、なんやかんやでコミュニケーションは取れていた。

ところでこのブックカフェ(あるいは世間ほとんどの飲食店など)では、その会社員時代のランチ常識は通用しない。言うまでもなく、スタッフが一斉に休憩を取ったら誰がお客さんにサービスを提供するんだい、という話になるので、休憩は交代で順次に取っていくようにスケジュールが組まれている。僕は昼の12時スタートなんで、休憩はだいたい4時以降になったりする。ブランチの午後バージョンは、なんと言うでしょう?アフランチ?

このような食事はやや不規則に聞こえるかもしれませんが、僕にとってこれは一つとんでもないメリットがある。うちの店は、スタッフでもその空間を利用できるし、カフェと本屋の従業員割引もある。お店のピークタイムを避けての休憩は、つまり気軽に使えるということだ。

スタッフの仲間にコーヒーとサンドイッチを頼んで、本棚から前から気になっていた本を取り出し、窓際の席でゆっくりひと時が過ごせる。自分たちが提供する食べ物とサービスと空間を、自分が実際の客になって満喫する、なんという贅沢。このようなサイクルがいい発見をもたらすのではないかと思う。ホットドッグの上に乗せる、砕いたミックスナッツは滑りやすいとか、カフェラテのミルクの温度が若干ぬるいとか、そういったささやかに見えて、でも大事なことに気付くようになる。

これだけは絶対ちゃんとやりたいというのがあります。食べ終えて返却台にトレイを返すときに、しっかりと「ごちそうさまでした」と向こう側の仲間に言うこと。自分でやっているからこそ、そのありがたみが倍増する。まあここだけじゃなく、毎日僕たちのために料理を用意しているすべての人に言いたいですね。

つづく

2018年06月28日(木) Cafe, Work, Diary

カウンターの向こう側に立つ(1)——33歳からのカフェバイト

「パクと申します。11時40分にKさんと面接の予定がありますが」

本屋のレジでそう伝えて、僕は担当者が来るのを待っていた。その1分足らずの間、僕は隣りの棚を意味もなく眺め、目のやり場に困っていた。喉は乾いていて、心臓のドキドキの鼓動が一段と大きくなっていた。いつぶりなんだろう、こんなに緊張したのは。生きている感触だ。

後にカフェ側の席に案内され、Kさんがやって来た。挨拶の後、こちらから履歴書を渡した。そこにはこの十年間、ソフトウェアエンジニアとして働いていた会社名が載っている。最後にこのような書類を準備したのは7年前だった。

それを手に取ったKさんは戸惑いの色を浮かべた。
「エンジニア…ですね。うちのブックカフェの仕事を応募するのは…エンジニアの仕事を希望ですか?」
「いいえ、カフェや本屋のスタッフとして働きたいです。アルバイトとして。」
そう答えて僕はカフェのカウンターを指差した。

Kさんの目はさらに見開いていた。「それはつまりレジやドリンク、洗い物などの仕事をやるんですか」と確認した。
「はい、そうです」自分に務まるのか、正直不安もありつつ、揺るぎない決意を示そうとしていた。心の底からこの仕事が懇願している。

なぜ、とまではKさんは口にしなかったけれど、明らかにその答えを求めていることが分かった。何か勘違いしていない?うちでいいの?というような確認の目線だった。確かに滅多にない話ですね。現役エンジニアが、33歳にもなって、なんでわざわざブックカフェでバイトを始めようとするのか。

その答えは今になってもよくわからない。それを論理的にまとめるにはまだ歳月が必要とするかもしれない。一つ断言できるのは、ただ、この仕事をしたい、お客さんの顔が見たい、そんな自分の気持ちに気づいたことだ。

面接は15分も経たないうちに終わってしまった。伝えきれなかったことがたくさんあった。

やらないよりやったほうがいい。最近はこの言葉に励まされ、損得をいちいち考え、優柔不断でいるよりかは、「やったほうがいい」のような確信を持てる物事については、とことんやる。この方がまず身が軽くなるし、いい結果を生み出せる気がする。


翌日。

一刻も早く電話に気づくよう、久しぶりに携帯のマナーモードを解除した。不安が膨らみ始めた頃に電話が掛かってきた。ぷるぷる震えた手で、スピーカを耳元に当てた。

朗報。
採用。

こうやって僕の人生初のバイトが始まったのだ、33歳の春から。

つづく:変わってくる日常の風景

2018年06月03日(日) Cafe, Work, Diary

西国分寺のクルミドコーヒーに行ってみた、物静かの中で一人スリル

『ゆっくり、いそげ』の本を読んで、一度は行ってみようとずっと思っていた。一体どんなカフェなんだろう、本で書かれた思い入れが実践されている場所なんだろうか、と期待を込めて家から一時間以上かけて西国分寺を訪ねる。

西口から出てほんの少し歩くくらいのところにお店があった。案外近い。本の中での世界をこれから体験するんだから、その興奮を抑えきれずまずは入る前に外観の写真を一枚。一瞬にして東京の住民から観光客に変身。

クルミドコーヒー外観

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中に入るとまず二階に案内され、六人掛けのテーブルに腰を下ろした。メニューをもらってまずこれに惹かれたーー「見た目華やかなれど、とっても食べにくいサンドです!笑」。その笑いは受け止めてあげないと、と思って早速このサンドとクルミドコーヒーを注文。伝票代わりに可愛い小さな木馬が渡された。

クルミドコーヒー伝票代わりの木馬

そしてゆっくりと周囲を見回す。お店は縦長にできていて、一階がレジやスタッフの仕事場で、二階、三階と地下が客用のスペース。僕が今座っている二階はカウンターが二つあって、真ん中に大きなダイニングテーブルが置かれている。深く濃いブラン色の一枚板のテーブルで触り心地がとても良い。

各テーブルには名物のクルミの入った小さなバスケとキノコの形をした品のよいくるみ割りがあって、「一つどうぞ」のメッセージカードが刺さっている。長野県東御市からやって来たそうだ。

クルミドコーヒー 名物のくるみ

全体的に何かがドカンと目立つことはなく、都会のザ・オシャレの店よりとは違ってここは物静かで、落ち着いた感じ。タッチの一つ一つはどこまでも一体感があって、うまく溶け込んでいる。まるで謙遜で優雅なバックグラウンドミュージックのように、人前に立とうとはせず、でも耳を済ませれば、その美しい響が居心地よく染み込んでくる。昼過ぎのこの時間帯は6割くらい埋まっているところか。

二階と一階の間の階段にはクルミド出版の本が置かれている。確かここに通っているお客さんの中に物書きの方々がいて、何かしらの形で支援したいという発想からできた小さな出版社と記憶している。並んでいる何冊の本の表紙も『ゆっくり、いそげ』で見覚えがある。

階段をさらに少し降りて、ドアの近い方の棚には「喫茶の文体」と書いたコーナー
あった。横の説明を読んで見たら、「喫茶店やコーヒーををテーマにした一冊8〜48ページの短編が15タイトルで、小説あり、エッセイあり、レシピ集あり(官能小説まで……)」と書いてあった。どちらも無地でエレガントな白い表紙にタイトルが縦に書かれている。

「よろしかったらお席に持って行ってゆっくりご覧ください」と隣の店員さんが丁寧にフォローした。よし、ここは一つスリルでミステリアスなのを選ぶぞ!と各タイトルを目でなぞりながら、一冊に視線を固めたーー『残り香の秘め事』。

それを席に持って帰ったら、ちょうど食事とコーヒーが運ばれ、僕は一旦その「秘め事」を横にずらし、腹ごしらえに取り掛かる。見た目華やかで彩りなサンドだけど、確かに預言通り食べにくい!でも美味しい!僕の食レポのボキャブラリーは片手で数えられるくらい残念で仕方ないけれど、これはなんか、甘えたいような、そんな美味しさだった。食事を終えコーヒーを口にするとスイッチがピタッと入って、『残り香の秘め事』のページをゆっくり開いてみた。「こ、これは…」

クルミドコーヒー 小説

ある意味スリルだった。まさか15冊の小説とエッセイとレシピ集がある中、僕は一発で官能小説を取ってしまった。これはどうしよう。先程店員さんがサンドとコーヒーを運んできた時は既に気づいていたのか?今更戻しても手遅れじゃないか、あいつびびってんなと笑われるんじゃないか?それともここはもう男の道を通すしかない?静かで穏やかな時間と空気の流れを僕一人がなぜか逆走している。

結局のところ、16ページだけだしと思い、すらすらとそのまったくもって綺麗な文体で書かれた、クリエイティヴな比喩に溢れる二つの胴体の絡み具合を僕は拝読させてもらった。本棚に戻した時、額の汗を手の裏で拭いたら、それが窓から差し込む太陽に反射してキラキラと光っていた。初めて日本語で官能小説を読んだ、しかも公共な場で。ワイルドだろう。


二杯目のコーヒーの隙間に地下のお手洗いに行った、そしてそこの「ひと棚だけの古本屋」に目を奪われた。これも店主の思いが込めた試みだなと感心しながら、上から二段目に置かれた村上春樹の『レキシントンの幽霊』を手に取った。開くと中には綺麗な字で書かれたコメントのブックマークが挟まれていた。こういったちょっとしたタッチがこの店の隅々に刻み込まれている。そしてこういったブックマークに関しては、僕を無抵抗化させるほどの力を持っている。見えないどこかの誰かが数百円の利益のために転売するのではなく、しっかりと生きている一人の人間からこの本とこの本に込めた思いを一緒にいただくように思わせるからだ。

クルミドコーヒー古本屋

「僕も村上の本が好きです」と爽やかな男性の店員さんに声かけられた。「この本棚にある本は僕の蔵書です、よろしかったら席でもごゆっくりしてください。」
ブックマークのコメントがあって助かりますと礼を言って、僕は席に戻ってしばらく夢中で読んでいった。


やがて日も暮れて、そろそろと思い、あの可愛い木馬を持って一階のレジに行った。それを『レキシントンの幽霊』の本と一緒に渡し、会計を済ませた。
「ご来店ありがとうございます。韓国の方ですか?」と先程の蔵書の店員さんが玄関まで案内してそう聞いた。

(惜しい!まあ半分正解とも言えるけど)

「中国です。『ゆっくり、いそげ』の本を読んでここに来ました。機会がありましたらまた来ます。」と僕は言った。店員さんが大きくお辞儀をして、僕もそうしてお店を出た。

(あれ、自分のその言い方だと、本を読んでわざわざ中国から来たようにも解釈できるけれど…🤭 もう手遅れ、まあいいか…)

2018年04月23日(月) Trip, Cafe