kinopyo blog


Coding, Web and Personal Development

惹かれた電車の広告3つ

電車の中の数多な広告の中で、宝物探しのように自分にささるものを意識的に集め始めている。収穫数はなかなか伸びないが、厳選した3つをひとまず紹介したいと思う。

「条件は今よりいい会社。以上。」

DODAのこの転職広告を初めて見たときは素直にグッドジョブだと思った。数ある転職会社の広告の中で、ずば抜けてユーザー目線ではないだろうか。

キャリアアップもいいけど、
給料とか、プライベートとか、
大切だから。
条件は今よりいい会社。
以上。

結局のところ、これが一番シンプルで、みんなが結果として求めていることとじゃないかな?

今後のキャリアパス、情熱でやり遂げたいこと、そんな真面目で勤勉な人はいるにはいるが、ほとんどの人(特に就職したばかりの20代前半)はまだ自分のことをよく理解していないかもしれないし、難しいことを提示してもうまく回答できないかもしれない。

その中でせめてもの、譲りたくないものをこの広告は掴み、うまくキャッチフレーズにできたと思う。なかなか良い。

「いい成績ほど、母には内緒にしてた」

いい成績とったら真っ先に親に教えて、ご褒美をもらおうとしていた学生時代の私である。この通常の思考ルートと逆行する「ギャップ」がすごい。続きが気になって仕方がない。次の展開が知りたくなる。

ちなみに全文は以下となる

いい成績ほど、母には内緒にしてた

テストで満点なんかとったら、
母はきっと喜ぶだろう。

だけど、
それが母を苦しめることを、
私は知っている。

でもね、
交通事故で父を亡くして
進学をあきらめようとしてたのは、
私の方だった。

~交通遺児育英会の中吊り広告より~

『ワンランク上の〇〇』

当初(数年前かな)初めてこの言葉に出会ったときは、賢い!と衝撃を受けた。ただその高い汎用性と移植性によって、もはや街中に濫用されているクリシェとなってしまっているが… 本当に残念。

ワンランク上の旅
ワンランク上のホテル
ワンランク上の〇〇

IMG_0178

ワンランク上のサービスを享受するには、当然さらにお金を要するもので、それが商売の狙いでもある。極めてシンプル理屈なのに、万人に共通するある「属性」を賢く、巧妙に包んでいる。それは「ランク」の言葉自体にひもづく「階級感」だと私は思う。

「社会的階級」を登る辛さ、必要とされる才能と運気、これらを全て置き去り、「ワンランク上」のサービスを平等に味わうことができる、そう思わせてしまう。あたかもそのランクに自分は君臨したように、潜在意識への報酬と心理的満足度を最大限に強調し、要する代価(さらなる金銭)を最小限——無に等しい——に抑えた効果があると感じた。


車内広告のみならず、あらゆる商用ポスター広告による視覚への暴力は避けようがないが、その分、クリエーティブなものに出会った時の反動も大きい。それらは読み手に清新な風を吹き込んでくれるから、しばし宝探し続けそう。

2017年09月17日(日)

本:『騎士団長殺し』、ブラックコーヒーではなかった

村上春樹のノンフィクションは読んだことがあって、その独特の文体に日本語の感度が刷新された(惹かれたとも言えるだろう)。『騎士団長殺し』は初めて読んだ彼の小説で、感想といえば、ブラックコーヒーを頼んだのに中途半端にミルクが混ざっていて、どちらとも言えない味。豆はトップクラスなのに、若干残念な気持ち。

具体的に分析するには、とりあえず文章力とストーリーの構成の二つの側面に分けないといけない気がする。

続きを読む…

文章力は言うまでもない。自分好みの絶品の「豆」の味。前に読んだ『職業としての小説家』と一貫した筆風、コンテキストがフィクションに切り替え、人間の心理とか細かい物事の関連付けや比喩などは大変楽しめた。

ただ問題はストーリーにある(あくまで個人的な感想として)。「こんなの期待してない・・!」というのが本音。「こんなの」というのはつまりその「霊的な」イデアのこと——いつでも自由に現れ、主人公にしか姿を見せず、その姿かたちも自由自在に変換でき、あえてタイトルの騎士団長の容姿を借用していて、論理的に説明のつかない(詳しく説明したくもない著者の意図も含めて)その存在が、予想外だった。

サイエンスフィクションを読むつもりでこの本を選んだわけではないし、むしろちゃんとしたサイエンスフィクションなら何かしらその背景や世界観と成り行きを読者にきちんと教えるはずだけどね。単純に「村上春樹の小説の世界」を「初見」したものとして驚いた、この「不親切さ」に。

私自身、何の霊体験もなく、ごつ普通に生きてきたので、本の中に現れるこのわけのわからない「霊的なもの」(失礼)により、物語が変わり、実世界に影響を与えたようでなかったような、どう解釈すればいいかを悩んでいた。果たして主人公のその「神秘な国」への旅、あの地底の暗い横穴をくくり抜いたことにどんな意味があったのか、それが何で普通の人間世界の一室に閉じ込められた少女を救ったのか、関連付けがなかなかできなかった。そして著者にはそれを説明しようという姿勢もなく、理屈と論理的な「輪」を閉じることができなかった。もしかしたらこれは二週、三週してやっと線が繋がる設定かもしれないが、この長編をもう一回読もうとは思わない(少なくとも今は)。

絵に喩えるのなら、その技術で肖像画でも風景でも写実的に描けば素晴らしい絵になるのに、理解に難しい抽象画ができあがったイメージだ。それ好みのグループには受けられるかもしれないが、大衆向けとは言い難い。

もしかしたら、『職業としての小説家』で書かれたように、「小説が書けるかもしれない」と悟った時の著者の体験をこの小説で再現したかったのかもしれない。

それは空から何かがひらひらとゆっくり落ちてきて、それを両手でうまく受け止められたような気分でした…平たく言えば、「ある日とつぜん何かが目の前にさっと現れて、それによってものごとの様相が一変してしまう」という感じです。(42ページ)


少し間を開いてからはこう考えるようになった。あれをある種「自分の体験したこと」にすれば何となく一つの決着にたどり着けそうな気がしてきた。

この第一人称で書かれた「私」を自分のことに入れ替わり、「私が妻と別れて、山奥に一人で数ヶ月住んでいて、私に向けて鳴らされている鈴の音を拾い、謎めいた穴を開いて、騎士団長のイデアを解放し、やがてはやらないといけないことをこなし、(一見どこでどうつながっているかはわからないが)、自分の起こした行動できっとあの少女は救われた、そうしなければ危なかっただろう」と、ストーリーに何の「調味料」も加えず、そのまま「自分」という容れ物に入れてみたら、釈然とした。そういう世界もありえるかもしれない、そういう不可解なことはあってもいいかもしれない。人が強く何かを望めば、現実と非現実の境界線を動かせるかもしれない、と。

全ての伏線を回収しなくてもいい、少なくとも今はそうしなくてもいい。頭の回転と連想が追いついてないのは仕方ない。分からなければならないものでもない。いつか自分で悟るか(その見込みは全くない)、誰か詳しい人に説明されるか(自分からは聞かないだろう)、流れに任せよう。


余談その一

この肖像画を書く絵描きの主人公の仕事ぶりもなかなか面白い。

生計のために肖像画を書くようになったが、それなりに自分の流儀のようなものを貫いている。依頼を受けてからは依頼主と面談して、その人の光るものを見つけ、(脳内で)スケッチを何枚描いて輪郭を捉え、キャンバスに荒っぽい「骨格」を落としてからはスツールに座ってただじっと絵を眺め、作品の「訴え」に耳を澄ませ、寝かせて自然に膨らませ、「今日はここまででいい」と言ってあっさり上がるワークフローを、具体的に、ありありと再現した。アーティストのみならず、クリエイターの方々ならどこかで共鳴できるところは絶対あるだろう。

例えばこのブログでの記事も似た過程を得て生まれる:あるトピックの種を掴み、スケッチして大まかな構成を練り、書き出したドラフトを眺め、繰り返す編集で肉付けしては贅肉を削ぎ落とし、最後にやっと公開される。(収入にはつながらないけど)

余談その二

この本は知り合いの先生から借りたもので、その先生は村上春樹の小説とエッセイを通読している。その時の会話がこんな感じだった。

「先生、この『騎士団長殺し』はどうでしたが」
「ん。。イマイチだったかな」
「そうですか、ちょうど本屋で見かけて、買って夏休みの時に読もうと思ったんですけど」
「貸してあげるよ」
「あ大丈夫ですよ、どうせ買おうと思って」
「いやいや、買うほどではない」
「…」

「買うほどではない」、それが思いのほか響いている。ので、まだ自分で買いってはいない。

おまけ

207ページの内容を引用(男性にしか効かない質問)。

「こんなことをうかがうのは、失礼にあたるかもしれませんが、ひょっとして、奥さん以外の女性がどこかで、密かにあなたの子供をもうけているかもしれないという可能性について考えてみたことはありますか?」

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
村上 春樹
新潮社 (2017-02-24)
2017年09月04日(月) Book

リバウンドを取りに今日もジムに行く

去年履いてた短パンがこの夏にはきつくなり、デブ化の進み具合を痛感し、ジムに通いはじめている(何しろこういうのは人生初の体験)。たっだ数日ではもちろん効果は出ない。それでもやり抜くためには、何かしら自分に言い聞かせの言葉が必要になってきた。

続きを読む...

“Every step is progress.”(一歩一歩がプログレスだ)

これは前の同僚からの口癖で、僕はずっと借用してきた。特に走る時などに、何回も脳内で再生ボタンを押している。言葉通り一歩走ればそれが結果に繋がると信じて。

しかしひたすら走ってもその「プログレス」がなかなか感じ取れない——痩せたと思えばそうかもしれないし、ただの気のせい、日々の誤差に過ぎないかもしれない。このままジムに通い続けるには、さらなる精神的な糧が必要になってきた。

(ここから先はややこしいことを書くことになる、少なくとも言葉的には。)

思いついたのがこのキーワード:「リバウンド」だ。


体重、運動、ダイエットなどのコンテキストにおいてはなんと人間の意に反するネガティヴな言葉。せっかく痩せたのに跳ね返したりするのは厄介のことだ、いうこともない。

今回はあえてその単語をそのコンテキストで違う意味で書いてみたい、バスケから借りて。

バスケにおいてのリバウンドといえば、スラムダンクだろう、と勝手に個人的な体験から決めつけさせていただく。

安西先生の名言を借りると、リバウンドの存在意義は「つまり-2点が消え、+2点のチャンスが生まれる」である。

スラムダンクリバウンドの意味、安西先生から

どうしても身体がだるくてジムに行く気がない時は、こう考えればいい。

家でゴロゴロ寝転ぶのは一目瞭然の-2点で、ジムに行くのは確実に+2点のチャンスを作ってくれる、すなわち4点分の働きってことだ!

これは他の何か新しいことや習慣に挑む時も適用できる。万里の長城は一日で作られてはない。レンガを敷くのはプログレスではあるが、万里の道のりは長い、そしてその進捗を感じ取るには、一つのレンガがあまりにも微量すぎて、途中で挫折しかねない。

その時にせいぜい自分への励ましの言葉として使ってみたい。

「すぐに勝たなくても、今はダッシュの気分じゃなくても、失点を防いで、確実に得点に繋がるためのリバウンド(チャンス)を取るに行くのだ!」、と。

2017年08月21日(月)

誰に読まれたいのかーー検索エンジンか、人間か

ライターとブロガーの鍛える筋肉について

ブログを新しく始めている人、真剣に取り組んでいる人、ブログで生計を立てている人、誰でも通る道であろうSEOと、それがどう書き手のモチベーションに影響するのか、いくつかの感想を伝えたいと思う。

続きを読む...

まずSEOとは「検索エンジン最適化」の略称で、グーグルのような検索結果の上位に自分のブログを載せるために、色々と工夫することである。どういうルールで一位と評価されるかは複雑でかつ企業秘密なので、細かな詳細は公開してないが、「いいブログ市民」になるためのガイドラインは出している。それがまたネット環境の進化と変化により年々更新していく。

人気のあるブログを見ると、冒頭に大きな写真を用いたり、サブタイトルをきちんととつけたりして、読みやすさを向上するのがある。ただ、SEOのことを意識し過ぎたものも存在して、例えば読み手が「脳死状態」でもこれだけは絶対見逃して欲しくない部分を、大げさな太字+大文字コンボにしたり、ハイライトの線を引いてくれたり違う色にしたり、インターナルリンクを多数使ったり、SNSへの投稿を(露骨に)誘導したりして、釣りタイトルや、釣り画像も濫用されるのがある。

情報溢れる時代で、人間が一つのWebページに与えられる「離脱するまでの猶予時間」は限りなく少なくて、目を惹かれる写真は効率的な対処法かもしれない。実際の内容と関連性がなくても、萌キャラの女の子を表紙にするだけで、ネットならより多くのクリックを、本屋ならより多い人の手にとってもらえるかもしれない。

「検索エンジンにインデックスされない、イコールインターネットに存在しない」」と、どこかで読んだのを思い出し、だからみんなが注力するわけだ。

もちろんデジタルだからこそ、リッチメディアのアドバンテージを駆使して、よりいい形に情報を整理し提供するのは全然ありだが、周りの環境を見る限り、少々行き過ぎた感はある。少なくとも同じ「文字」を扱い、「情報」を伝える同士のはずのネットを媒体とするブロガーと、紙を媒体とするライターの間では、鍛える「筋肉」が違うと確信した。


一つは、「人間という読み手への最適化」をする前に、「マーケティングとマシンへの最適化」を優先してしまっている点。

ライターの場合、小説の作者だろうが、企業のコピーライターだろうが、それの成果物はすなわち「文字の集合体」のみ。それだけで勝負するから、余計なものを入れる余地がない以上、自然に意識するのは読み手への最適化。

ブロガーの場合、コンテンツ以外ーーつまりSEOのためにーー力を入れすぎて、かえって全体が読みにくくなるのが問題。読みたい文字よりも「周辺のノイズ」がより目立って、ビジネス臭いを匂わせる。読者を意識して、読みやすさのためにブレイクを入れたり、サブタイトルをつけたり、ポイントを強調したりして、文章の構造に手を入れるのはウィンウィンのはずだが、その一線を超えた激しい「セールピーチ」は逆効果で、こっちは引いてしまう。


もうひとつは、ブロガーのモチベーションとフィードバックの問題。

何事も同じで、ブログを開設するのは簡単だが、続けるのは難しい。参入障壁が低い分、途中で脱落者も多い。要因は人それぞれだが、ここで特筆したいのは書き手にとってのフィードバックだ。

ブログのフィードバックってどうやって測るのか?一般的にはアクセス数やSNSへの拡散、金銭的には広告の収入などが考えられる。そのピラミットの頂点に立った人は、また初心者に向けて丁寧に「こうすればロケットのようにアクセス数が伸びるよ」的なものを書き、みんなを同じ方向へ導こうとする。

それはそれで知識の伝達にはなるが、その数字で測れる「頂点」を目指してこのブログの世界に入った人にとっては、敗北も同じく数字で残酷に、明確に測れる。

どんなに書いてもその「数字」が伸びないから、モチベーションが下がり、挫折し、やがて諦める。もちろん色々と試して自分に向いてないものは、綺麗さっぱり撤退するのも重要だが、中ではきっと書くこと自体が好きだが、「書いてて手応えがない、アクセスが少ない、誰もシェアしてくれないから私は書くのをやめる」、という人がいて、そのやめ方は一番残念なパターンだと思う。実に残念。

映画『インテーステラ』の中で無限に広がっている宇宙を、主人公が一人で彷徨い続けるシーンがあった(だいぶ昔に観たのでもしかしたら似た題材の『グラビティ』だったかもしれない🙏)。燃料が切れた以上推進力を失い、叫ぼうとしても何も聞こえない「無の空間」は切ない。

このブログもそのような空間を走行していた時期があった。「数字のフィードバック」だけを頼りに先に進み、行き詰まっては挫折し、ブログを完全停止にした時期もあった。再開のきっかけは、やはりどうしても、何か書きたい気持ちが抑えられなかったからだ。

「書くことは自分を知ることだ」と『僕だけのいない街』に八代学がそう書いていた。何か自分の中でまだもやもやした「課題」を見つけ、書き出す工程で納得の行く結論に導かれることがどれだけ爽快なことか、だったらSEOやらSNSなんざ気にしなくだっていいじゃないか?次の何万クリックを目指す記事よりも、自分が好きなものを書けばいいじゃないか?

「検測エンジンでの評価=人間が読みたいもの」とは違うし、クリックウィンを求めるネット民衆のマインドセットが変わらない以上、いくらマシンとそのアルゴリズムが進化したとしても、決して全ての人間の意思を反映することはできない。

ので、マシンの評価を無駄に意識して、自分の文章を妥協したり、挫折したりするのは本末転倒だと思う。自己満足に過ぎないかもしれないが、自分の中の「内なる声」に耳を傾き、それを引っ張り出し、再構築し、発信し続けることにきっと意味はある。「どんな髭剃りにも哲学がある」のように。読者はそのうちきっと集まる。

8年間ブログをやってきて、今更自分らしい文章のフォーマットを探り始めたところの一編だった。

2017年07月23日(日) Writing

ポイントカードは持たない派

ポイントカードだらけ

「当店のポイントカードはお持ちですか?」
「いいえ」
「今すぐ作れますがいかがなさいますか?」
「結構です」

ポイントカードほどめんどいものはないと思う。
計算してみれば大して割引にならないのに、
忘れた時の精神的ダメージが大きい。

続きを読む...

・店ごとに独自のポイントカードがある
・いちいち財布のスペースがとられる
・あまり利用しないところだと、ポイントが使える閾値までそもそも到達しない
・「あと3回で500円の割引」と釣られ、行く予定もないのに行ってしまったりして、自分の行動パターンがたかがのポイントに変えられるのが悔しい

などなどの理由でポイントカードは持たなくなった。


逆にどうすれば消費者に好まれるのか、少し考えてみた。

イギリスのブリストルで一つのカフェに行った時のことを思い出した。
Friska The Eyeという店ではスマホアプリ(ロイヤリティアプリという)を出していて、ダウンロードすれば支払い、ポイント、新着情報などが全てそのアプリを通して完結する仕組みだ。

プリペイド式だけど、一回切りで後の支払いが楽になるし、物理的にスペース取らないし、キャンペンコードで一杯コーヒーを無料など、消費者としては確かに利便性の高いものだ。

店側でも新商品をアプリを通して宣伝できるし、混雑時スムーズに会計ができて少しは楽になる。

もし、行きつけのカフェにこういうのができたら、紙のポイントカードよりかはいいかなと思った。


ただ全部の店がまた独自のアプリを開発するのもコストがかかるし、消費者のスマホのスペースが取られるのもな・・ヴァーチャルとは言え、「ポイントアプリ」で携帯を充満するのもまた原点の問題に戻ってしまう。

そしたらやはり何か「共通のインターフェース」が必要になってくるかも。技術は既に揃っているけど、後は「普及力」が追いついてくるかどうかが鍵になると思う。AppleとGoogleの巨人達の影響力と実行力でこの辺は変わるだろうか?

2017年07月22日(土) Consumer