kinopyo blog


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本:「雪煙チェイス」、東野圭吾

本屋で冒頭の数ページを読んで買うことを決めた。開幕のシーンがよかった。惹かれたっていうか、刺されたって言うか。

わざわざ早朝に一人で車を運転してスキー場にやってきて、パウダーゾーンを狙う主人公、そこに自撮りに難航していた一人の女性スノーボーダーに気づき、シャッターを押してあげることにした。定番の「念のため、もう一枚」という時に、「ちょっと待って」と言われ、その女性はゴーグルをヘルメットの上にずらし、フェイスマスクを下ろした。元々覆われた顔が現れ、主人公はどきっとしたわけだ。その後、女性は密集した木々の間を、雪煙を上げながら滑り抜けていく。あっという間に引き離され、見失ってしまった。残されたのは誘えばよかったと後悔した我が主人公…

このオープニングは結構好きだな。もし最初から顔が見えてしまったら、また話は全然違うテーストになるだろう。この全く期待感のない、無防備の状態で急に好みのタイプの女性が実は目の前にいたという「発見」に、男は弱いかもしれない。

ストーリーの舞台はスキー場だが、僕みたいな全くスキーやスケボーの経験がない人間にも十分楽しめた。「パウダーラン」とか、「未圧雪の上級者バーン」とかの専門用語も知らないし、「孫悟空の筋斗雲に乗っているような浮遊感と疾走感」とかも体験したことがないけど(体験したいとは言ってない)。

人を殺してないのに訳あって逃げないといけない、警察なのに訳あってバッジを見せて堂々と捜査することができない、こういう巧妙な場面を作り出したことがすごいなと感心した。

構成上二人の大学生とかれらを追う二名の刑事、それにスキー場の人達という、大きく三つのグループに別れてて、章ごとに交互にそれぞれのストーリーが書かれてる。誰が主人公という設定はないと言ったほうが正しい。タイムリミットがある中、それぞれが自分の立場から真実を求めていくのが、とにかく面白かった。ただ登場人物が多いせいか、キャラが成り立ってない、存在感が薄いなどの印象もある。


全体的には読みやすかったけど、読み終えて少し吟味すると、やはり違和感を感じた部分があった。あくまで個人の感想なんで、別に批判したいわけではないので、軽く読み流す程度で読んでください。(ネタバレあり)

一番大きな違和感は「女神」ーーすなわちアリバイを証明してくれる、シャッターを押してあげたその女性ーーの正体が最終的にわかった時、アンチクライマックスな気がした。それは読者が中盤に「あ、この人か!」と簡単に予測できないように、配慮したかもしれないが、そもそも「女神」本人に対してあまり書けないから、「女神探し」というメインストーリーの最後は、「あまり知らない人が女神だった」、のような後味の悪いエンディングになってしまったのが、個人的にすごい残念だと思う。

この三日後には花嫁になる人、たまに登場するときのリンとした話ぶり、落ち着いた雰囲気、スキー場のために身を削るという人物像と、あのミステリアスの「女神」ーーハート形に見える山を背景にピースサインを出して自撮り、主人公に「バッチリです」と言って指で輪を作るという仕草、この落差がどうしても受け入れがたい。第1章で「誘えばワンチャンあり」の雰囲気を出したのがよくなかったかもしれない。

ぶっちゃけ、「女神」より旅館の女将さんや妹の友人の千晶の女性キャラクター達のほうが、もっと前に出ているという矛盾があるのでは、と思った。せっかく最後に「女神」を見つけたのに、物足りない感が半端なかった・・・

あとは刑事の上司の南原があまりにも単調すぎて、普段はうるさいけど実は最後に部下をかばう立派な男かも、とちょっと期待したんだけど、結局ただのステレオタイプの嫌な人で終わった。


後半色々と文句をいったふうに書いてるが、小説自体は悪いとは言ってない(笑)。こう言った「気づき」も読書のワンセッションだと思って、整理して書き出した次第 😄

2017年03月18日(土) Book

本:「ハーモニー」、倒立したディストピア

これは伊藤計劃の二作目の作品である。前作「虐殺器官」の続編とも言えるけど、読んでなくても本作は十分楽しめる。先端技術を使った戦闘シーンはない分、世界の壮絶さとエンディングの吟味具合は最高だ。

世界観

冒頭を読んで少し心配してた。「ハーモニー」というタイトル、三人の女の子、大人になりたくないと社会に文句を言う始まりから、もしかしたらそこらへんのアニメと似たような平和ボケのストーリーかと思ったら、20〜30ページ読んでどこか「安心」した。「真綿で首を絞めるような、強権的な優しさに息詰まる世界」、じわじわとその息苦しい世界観が伝わってくる。

時代は「大災禍(ザ・メイルストロム)」の後、世界中に混沌と騒動が起きた後、ようやく平和を手に入れた人類は、二度とこんな大惨事が起こらないように肉体と精神の極限なハーモニーを求めて、「生命主義」の端までたどり着いた。医療技術の進歩で人間は事故と老い以外は死なないようになり、その対価に成人になると体内にWatchMeというものを入れられ、身体の状態データからあらゆるプライバシーのデータまで常に政府の次形態である「生府」に送り続ける必要がある。

つまり自分の行った場所、聞いた話、見た景色全てが監視されている。今の常識から見ればありえない話だが、それでもそういうプライバシー侵害の心配を遥かに上回るように、社会は平和と慈愛に満ちいるから誰も気にはしない。「心的外傷性視覚情報取扱資格」、映画を見るには、暴力的な資格情報に接するには、法的に定められたこんな資格が必要になってくる。人は喧嘩や紛争すること自体忘れているかもしれない。

面白かったのが、「プライバシー」という単語はその世界で「やらしい」というニュアンスに進化してしまった。自分の年齢、職業、社会的評価点数など、ほとんどの情報が公開している以上、唯一残されているのは、もはやセックスする行為のみ。

誰もが優しくて、健康で、人思いの理想郷とは相反に、妙に子供たちの自殺率は上昇する一方。「優しさは、対価としての優しさを要求する」。子供はこの重たる「空気」を鋭く感知し、憂鬱になり、追い込まれた末、自ら命を絶つことになってしまう。主人公もそれを図ろうとした大勢の子供の中の一人。

主人公の執念

霧慧トァンは螺旋監視官という生命主義の中で最もエリートの職に就いていながら、職権濫用までしてタバコや酒を手に入れようとしている(これらのグッズは生命最高主義への一番な冒涜で、で完全に貶されるものとなり、通常ルートでは入手できなくなっている)。その執念は13年前の親友の死から始まっていた:一緒に自殺することで誇り高く生命主義に対して皮肉で致命的な一撃を加えようとしたが、親友をなくし、自分だけが生き残った。「なんで私は死ねなかった」と、自分で自分を苦しめ、この無念から物語はどんどん展開する。

そして世界的な「大事件」が起きる。それを読んだ時の衝撃はよく覚えている。不意打ちを食らった後は、ひやひやしてた。背筋に冷たい刃物を「ぐさっ」と刺し込まれたたような感触だった。文字だけでここまで伝わるものかと感心する。

醍醐味

一番の醍醐味はやはり「意志とは」、「進化とは」の哲学的な議論だ。テクノロジーが極めて発達した世界で、論理や自我の矛盾はより対立となり明確になる。これこそがSFの醍醐味で、伊藤計劃の得手だと思う。

何を持って「私は私である」と言えるだろうか?こう質問されて脳内で何かの答えを探ろうとして、「とある声」が勝手に鳴るだろう。この「内なる声」ー街を歩いても、ごはんを食べても、人と社交しても、このブログを書いている最中も、これを読んでいるこの瞬間も、常に脳内を迂回するこの声ーこの声こそが「私の意志」なのか?この「声」をなくしたら「意志の消滅」と言えるのか?その時人間はどうなるのか?こんな質問と議論が物語の中に潜んでいる。

数日後、妙に前友人と飲んだ時のことを思い出した。二次会の時にその友人は普通に喋って普通に飲んでいたのに、次の日には全く覚えてないと言ってた。途中から酔って記憶が飛んだらしい。つまりその間は「自動運転モード」に入ってるってことだ。その時の振る舞いは、果たして本人の意志と言えるだろうか、それともただ空白なのか?もし一瞬全世界が「自動運転モード」に入ったらどうなるんだろう?

この質問の余韻に浸って僕はもう一回本の世界に飛び込んだ。


諸々雑談

この本は2008年に書かれたらしい。今から8年前。時代の先読みがすごかった。ARとVRの世界、プライバシーの公開と漏洩、近年の話題が作品に先越されたような感じだった。

少し残念だと思うのが、章と章の繋ぎが弱いと感じた。せっかく章の終わりにフルスピードで突っ走ったレーシングカーが、次の章ではまたゼロからゆっくりとスタートラインを切るような感じ。

第一人称へのこだわりは最後のインテビューに掲載されている。一人称と三人称の優劣は村上春樹の「職業としての小説家」にも触れてあって、作者が何を評価してその手法を選んだか、これは興味津々。

色々面白い一行知識もある。例えばナチスとヒトラー

ヒトラーの母親は乳癌で死んだ。医者はユダヤ人だった。だからヒトラーのユダヤ人憎悪はそこに端を発している。ホロコーストはヒトラーの母親の乳房から生まれたというわけだ。右か左かは知らんが。
(ページ214)

映画もあるので、小説を読んでから観るとよりその世界の肉付けができるからおすすめ。ただし映画では百合になっていて、原作とだいぶ味が変わるから気持ち悪かった。「親友で同志でカリスマの存在」を失くした痛みと「ただ」好きな人を失くした感情とは、レイヤーがそもそも違うから。

瑕疵は多少あるけど、全体としては十分よかった。これで伊藤計劃の三部作のうち二つは読んだから、残りの「屍者の帝国」も楽しみだ。

2016年12月02日(金) Book

深夜食堂

今日は珍しく人と喋りたくなった

一日が終わり、絡みついてる何かをふるい落とすかのように、「深夜食堂」を観ると心が落ち着いて、また明日も頑張っていける気がする。見るのが惜しいくらいハマってる。

まったくタイトルに騙されてた。ただ深夜に何かのグルメを紹介する番組かと思ってた。だからずっと抵抗があって遠下がっていた。「人は見かけによらぬもの」というのは、これにも適用できるんだな。

さて、これはどんなドラマなのか。どういう人が夜12時以降から唐揚げや豚汁を食べるんだろう。最初は不思議で仕方なかった。

新宿の娯楽街の近くにあるこの店に通ってる人たちはちょっとだけ尋常じゃない普通の人だ。彼ら彼女らにはそれぞれストーリーがある。背負っているものがある。この深夜食堂があらゆる背景の人たちの交差点となり、アジトとなり、心を温めるところとなったのだ。

みんな何を食べるって?それが醍醐味だ。

夜が静まり、偽装と仮装を下ろし、すっぴんの我に戻った時に食すこの一品は、フランス料理でもない、A5和牛でもない、極めてシンプルなものだ。それはお袋の味、家庭の味、片思いの味、未練の味、自分のの人生の味そのものだ。大事な人との思い出が食べ物とリンクして蘇る。

もしその店に行けたら何を注文するんだろう。

2016年11月24日(木)

本「猿の見る夢」感想

汚くてもそれが人間

59歳の薄井という主人公は自分勝手、優柔不断、冷酷で芯のない、女と金の欲望に場しのぎのことしかできない、そういう人。家庭に居場所がないと言い訳に愛人を作り、愛人とうまくいかない時はまた他の恋人を探し、それがだめな時は「やっぱり家が一番」といって転がる人。

なのにこの本を手に取って一気に読めたのは不思議だ。なんとなく共感できるとこがあって、なんとなくこんな男の最後を見届けたいという高みの見物みたいの心境もあった。そして読みながらだんだん恐怖を覚えた。それは物語のつなぎ役の神秘で気持ち悪い占い師によるものでもあり、主人公の遭遇に共感と共鳴することで自分もいつかそうなるのではないかと、薄々不安を感じた部分もある。三人称で書かれたのはあえてあまり感情移入せずに客観的に見て欲しかという意図があったそうだが、妙に惹かれるところは未だによくわからない。

最初の拗ねるところが薄井の人間性をよく表した。キャリア上もっとも運命を決めるチャンスかもしれない会長との極秘ミーティングを、愛人と先約があるということで早めに終わらせ(こういう面では評価できるかもしれない)、行きつけのレストランに時間通りに行ったら逆に愛人が1時間も遅刻する、しかも相手が時間と場所を決めたのに…店内は若者のグループが合コンでうるさくいし、こっちは常連なのにいつもの席に座らせてくれない、などなどで物事がどんどん都合の悪い方向に転び、やがて拗ねて自爆する羽目になる。怒ることに至らない「単品」の小さな挫折が「セット」で来ると、我を失う。ほとんどの人はそうじゃないのかな。

愛人関係というと、毎週二回会って料理とワインを飲んでセックスする、というルーティンを10年も続いている。平日に一回、週末に一回、全部仕事の接待やら飲み会やらの言い訳で家族をごまかして10年間。そして深夜前には絶対自宅に帰る、愛人宅では一切止まらないと、せめてもの家族への優先順位のケアというか、そういうところがある。。。何ことも長続くことに意味があるという観点からは、もうこの「若さ」と「継続さ」に感心するほかならない。

中盤に入ってからは薄井が自宅に帰った様子が書かれたが、まさに「犬以下」の待遇でちょっと同情したい気もあった。卵と鶏の問題かもしれない。家庭内に居場所がないから外で快楽を求めているのか、外で快楽を求めているから家で冷遇されるのか。その悪の循環が全てを壊す。

そういう仕事、家庭、親族、そして女性関係(これは自己責任といえばごもっともだが)からのストレスは分からなくもない。不倫がバレて家から追い出されて、一人になってからの好き放題やり放題の開放感から間も無くまた寂しくなり、「男は安定な家庭があるからこそ一人になりたい」と悟った主人公。誰しも一つや二つ共感できることはあると思う、だからこそ怖いのだ。もしも一歩ずつ間違えたら、そういう滑稽で狡猾で卑劣な人間になるのではないかと。

一箇所だけ著者の意見が文中で表したと思う。

男は女に縛られると、自由が欲しくなって飛び出し、自由を得た途端にまた女が欲しくなる。馬鹿な動物なのだ。

(自分も含めて)ほとんどの男性は認めざる終えないだろう、この矛盾でどうしようもない内なる感情を。

一番不思議だったのが、一回目読んだ時はひたすら主人公のことを見下してた。何でこんな人間失格のストーリーを読むんだ、と疑問に思った瞬間もあった。しかしもう一回パラパラと読み直したら、何となく著者が表紙て書いた「これまでで一番愛おしい男を描いた」の意味がわかってきた気がした。思わず女を比べた時の罪悪感、別れた時の涙、貶された方を庇いたい気持ち、結局誰にも愛されてない時の挫折など、いかにも人間らしい感情。もし、自分の過去を他人のストーリーのようにもう一回客観的に読み直せるんだったら、同じく滑稽で狡猾で卑劣に見えるのだろうか。心のどこかにそういうピエロが潜んでいるのではないか。

最後のエンディングは個人的にどうしても腑に落ちなくて薄気味悪かった。「雑な仕事」としか思えてなくて、ようやく映画がクライマックスになろうとした瞬間、停電で強制解散された感が半端なかった。

誰が読むべきか?読むことをすすめするのか?

ん。。難しい。全体的に読みやすかったし、59歳という、失礼だけど、もうおじいちゃんのはずの人の具体的な悩みや挫折を鮮明に伝えたし、各登場人物とのリアルに汚い、見苦しいディテールまで見えるのはよかった。各自の人生経験とステージによって得られるものは絶対あるだろう。

若かった時はよく「定年退職後にやりたいこと」を友達と妄想してた。まるで、老後は仕事のストレスから解放され、それこそ人生を楽しめる時期かと勝手に心のどこかで思ってた。そんな都合のいいことは絶対ないだろうと、本作を読んでもう一回考えてみた。16歳には16歳の悩みがあり、59歳には59歳の悩みがある。何かの「ステージ」に物理的にたどり着いたといって全部が望む方向に転ぶことは絶対ありえない。だからやりたいことがあれば「今」だと、ちょっと意識高いことを言ってみたくなる。

最後にいくつか主人公の「悟り」を引用してこの記事を終了し、この本にもちゃんとありがとうとさよならを伝えたい。

自分の会社であれば、人はいくらでも働くり問題は、他人にその熱意をどう共有させるかだ。創業者には、雇われた者の気持ちは永遠にわからないだろう。
P16

結婚してからは、一人になりたくてもなれない状態が続いていた。美優樹(注:薄井の愛人)と付き合うようになって、美優樹の部屋、という会社と自宅との中間点の居場所が出来た。美優樹との付き合いが長くなったのも、結局はそういう居場所が欲しかったからではないかと気づく…会社で働き、美優樹の部屋で解放され、家に戻って会社の準備をする。その繰り返しの日々だった。
P328

本当の独りになった途端、独り身を楽しめるのは、家族がいるからこその贅沢だとようやくわかった気がする。
P392

2016年11月11日(金) Book

本:虐殺器官、SFだからこそ人間の原点について語られる

9・11以降の世界、テロ対策としてID認証が生活のあらゆるところに浸透している。第一人称で書かれた「僕」という人間はアメリカ特殊部隊で暗殺屋をやっている。高度に発達したバイオテクノロジーを武器にして、虐殺が氾濫している様々な戦場へ派遣され、キーパーソンを暗殺し続けても世界は一向に平和にならない。唯一の手がかりはジョン・ポールという男、彼がいるところは常に大量殺戮が起きる、暗殺リストの常連になっているが、「僕」がその現場に駆けつけた時はもうそこにジョン・ポールはいない、まるでゴーストのような存在。彼の目的はなんなのか、どんな手段で虐殺を引き起こしたのか、「僕」はジョン・ポールを暗殺できるのか。これがメインストーリーとなるが、この本の素晴らしさはこれだけではない。

最初に惹かれたのは文章の中のスパイスだ。戦場や虐殺の現場とその死体の描写がやたらとリアルで、「気持ち悪い」よりかは戦争の恐怖を覚えさせる。村の広場に掘られた穴の中で死体が焼かれ、筋肉が収縮し髪の毛から発散した臭い匂い、何もかも臨場感がやばかった。平面上での文字でここまで没入感をもたらすとは感心した、まるでVRメガネでそこに立ち、さらに臭覚まで再現されたような感覚だ。

主人公達は戦場へ出発する前にカウンセリングを行う。そこで脳内マスキングというのを受ける、要は戦場でいちいち子供兵を殺す時の「余計」な論理的思考を「排除」するオペレーションだ。事後にPTSDにならないよう、事前に予防ワクチンを打っておくようなものだ。それにしても主人公は常に殺人について考える。国家の命令だから、良心の部分をテクノロジーで麻痺したから、平然と人の命を取ることに何の罪悪感も感じない自分に悩まされる。良心とは何か、個体の進化の過程においてそれは邪魔者なのか、遺伝された「人間らしさ」の一つなのか、真の自由を妨げるものなのか、主人公が一人で考えたり、他人との会話で議論されたりして、読者に咀嚼してもらうところがよかった。

もう一つ特筆したいのは家庭問題だ。主人公が幼い時、お父さんが自殺した。自分の親が自殺すると、どれだけ深刻な影響をその家庭に及ぼすか、これで少しは覗き見できる。彼もいつかお父さんのように「消える」のではないか、と心配してるように母からは常に用心深く見られてた。とにかく「僕は消えないよ」を伝えるのが彼の前半の人生においての第一の優先事項で、周りに迷惑かけない、静かで大人しく人生を過ごすことに注力してきたが、そのような生活に疲れてエキストリームに、就職先を軍にしてしまった。本当に親というは生死問わず生きている子供の人生分影響を与えることだな。

世界各地の戦場に足を運び、ひたすら命令通りに暗殺という「業務」をこなす中、ある日自分のお母さんが交通事故にあった。意識不明になりドクターからは延命装備を外すか否かという問いに、主人公は初めて自分の選択で人の生死、しかも生身の自分の母の、を決めなくてはならなくなった。医学が進化し脳の研究も十分発達してかえって悩ましいことに、意識あり・なしの定義が医学的にも社会的にもグレーゾーンになっていて、今病院のベッドの上に横になっているは自分のお母さんなのか、骨と肉と筋肉で出来上がった「塊」なのか、明確な定義がないことだ。どれぐらい脳が機能すればそれを「人」と呼べるのか、魂はあるのか、自分はお母さんをこのまま生かすべきなのかそれとも・・・その葛藤がまたいつも主人公を苦しめる。

もちろんSFの要素も盛りたくさん仕込んである、十分読み応えはある。自動出血措置を行うスマートスーツ、指紋認証がついてる銃、カモフラージュ機能で周りの環境にとじこむ迷彩服、自動分解できる侵入鞘、ナノディスプレイになる目薬、痛さは「知る」けど痛みを「感じない」痛覚マスキングなど、今後映画が出来上がったらぜひそれらのテクノロジーを観てみたい。

全体の感想としては、まさにSFだからこそ、色々と厳しい問題を露わに表現できて、人間性についてシリアスに考えることができたと思う。

2016年10月01日(土) Book